「逃げるなよ」モラハラ毒父は、精神的暴力・虐待で怯えるわたしにいいました。
逃げてはいけない
逃げることは悪いこと
そう思ったわたしは、ひたすら耐えて我慢することしかできませんでした。
「逃げる」と対局するのが「立ち向かう」だとおもいますが、立ち向かっても意味がなく今すぐ逃げるべきだと思い、わたしは物理的にモラハラ毒親から14年前の25歳のときに物理的に離れました。
あきらかに「逃げる」と悟られる行為は、モラハラ毒父の精神的虐待・身体的虐待を受ける理由に直結して、逃げることができないと判断したわたしは「逃げる」と悟られないようにモラハラ毒父に危害を受けることなく完璧に逃げるため「親への感謝の気持ち」を手紙で伝えることでわたしは「逃げる」ことに成功しました。
心の傷は難病が発症することで表面化された
わたしは、もう「これ以上ストレスに耐えることができない」と思ったときに初めての難病の大きな発作がありました。
ボロボロに破壊された見えない心の傷が表面化されました。
このときは傷が目に見えることでとても嬉しく、安心したことを鮮明に覚えています。
たびたび発作は起こるようになりましたが、発作は手術を伴うほどの腹部の激痛と繰り返す嘔吐でキツいので、できるだけ発作も起きて欲しくありません。
それからわたしは「逃げる」ということをすごく意識するようになりました。
「逃げる」ことは恥ずかしいことでもなく、弱いことでもなく、無駄なストレス回避のために賢い行動だとわたしは思います。
病気とうまくつきあっていく
今おもうと、当時のわたしの心の痛みは言葉で表現することもできず、本当に毎日が苦痛でした。
その心の痛みは計り知れなく、表現できないわたしのかわりに
難病という実際の体の痛みとなって出てきてくれました。
わたしはストレスに対する感度が非常に鈍いと思うことがあります。
ストレスを穴埋めしようと頑張りすぎてしまう傾向があります。
そんなときは発作が「頑張りすぎているから」と信号を送るようなシステムになっているんだとうなと思います。
病気は一生付き合っていかなければならない病気となり、長男にも遺伝しました。
病気に感謝していますが、同時に生活がいろんなところで制限されていることも多々あります。
発作は、心身的ストレスの他、風邪などで免疫低下しているときや運動などの疲労、ストレスや外傷など、いろんな原因で起こります。
長男に発作が出ると
「普段怒りすぎているわたしのせいかもしれない」
とよぎります。
本当にそうかもしれないし、違うかもしれない。
だけど、長男がもし心のストレスで発作がでているとしたらとおもうと胸が痛くなります。
自分自身の発作や長男の発作があるたびに、現実と向き合って心を休めるきっかけができるのです。
現実に目を向けることを意識する
わたしが難病が起きるたびに発症した理由を「蜂にさされた」ことを理由にしようと「一回病院の先生にきいてごらん」といちいち要らぬ心配をするモラハラ毒父。
自分が行なった精神的暴力・虐待と向き合おうともせず、必要以上にどうでもいい他ごとはしつこく心配するフリをします。
現に精神的暴力のことを、つつかれると激怒し現実と向き合おうともせず「自分は悪くない」「おまえが悪いんだ」と主張するくせに、自分に関係がないことには責任がないので余裕をみせて原因を突き止めうとする都合のよいモラハラ毒父。
難病が発症した原因ががモラハラ毒父による精神的暴力・虐待が原因だとは1ミリたりとも疑っていませんが、そのようなことをモラハラ毒父に言ったところで、わたしは精神的暴力を受けます。
蜂ではなくモラハラ毒父にあると知ったら「心配する」ことがフリだったことがわかります。
モラハラ特有の「責任逃れ」が炸裂します。
モラハラ毒父には、もちろん言いません。
モラハラ毒父とは一生関わりたくないです。
そして、わたしは長男の発作としっかりと向き合っていきたいと思います。
向き合っていこうと思えるだけで、モラハラ毒父とは違うということに安心します。