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モラハラの暴力は「最良の善人」を保つエネルギーを放出するための快楽

モラハラは、普段は身体的暴力を振るうことを恐れる傾向にありますが、身体的暴力を振るう可能性はもちろんあります。

全てのモラハラ加害者は身体的暴力をする可能性は100%あるといっても過言ではありません。

モラハラが一旦破壊的行為に出ると、理性が崩壊し完全にコントロールを失います。

モラハラは、普段から「憎悪」を持って生きていますが、物理的なDVに出る時は、「憎悪」がモラハラ夫を操っているような状態になります。

こういったときモラハラは身体的暴力を使います。

モラハラが身体的暴力を振るうことが少ない理由

モラハラは、自分が最良の善人であることを周囲の人にだけでは無く、自分自身でも信じています。

そのため、身体的暴力のような外形上分かりやすい虐待は基本モラハラは意識的に避けます。

身体的暴力をふるうことが少ない理由は

1.身体的暴力を使うと、自分が悪い人だと誤解されるから
2.大胆な悪事を働くのが単純に怖いから

責任を負うことを極度に恐れる為、常に自分は「良い人」「被害者」という立場でないと耐えられません。

そのため、どんなに子どもや配偶者を痛めつけようと、自分は正当であると必死で自己暗示をします。

要は大事な自分を守るためです。

基本的にはこの2つの理性がモラハラにはありますので、普段は精神的暴力のみですが、理性を失いコントロール不可になったときはこの2つを完全に無視し虐待行為をします。

被害者が外部に漏らさないか目を見張るモラハラ

モラハラが虐待行為をした場合、ここそとばかりに全力で自分を正当化し、殴った原因は被害者にあると言い張ります。

だけど、そもそも虐待の正当化は、非常にムリがあります。

それを強引に被害者の責任に擦り付けるわけですが、殴られた被害者がその後どういった手口で追究してくるかという不安を抱え、気が気でなりません。

憎悪に荒れ狂ったモラハラが落ち着きを取り戻すときは、罪悪感ではなく「やっちまった!」と思います。

そう思うと、真っ先に「最良の善人」の自己暗示をかけることにフル回転させます。

理性を取り戻したモラハラは、必死で「善人ぶり」を発揮し「これはオマエのことを思ってのこと」という暗示をここぞとばかりに被害者と自分自身にかけます。

残虐なことをしておきながらも自分のリスクをできるだけ少なくすることをモラハラは考えていますので、基本的にモラハラは身体的暴力をあまり行いません。

わたしは過去の虐待に10数年悩み、子育てにとても悪い影響が出始めました。

耐えかねたわたしは「虐待をして責任を子どもに押し付けるのはおかしい」とモラハラについに追求することになりました。

モラハラ毒父はあらぬことかというか、やはり虐待を正当化していました。

トラウマを抱え苦しみ続けた子どもを理解するはずもなく、むしろ殺意を感じました。

モラハラ毒父の身体的暴力をわたしが虐待と認識している時点で、いっそのことわたしを消したい気持ちでいっぱいのはずです。

殺してしまいたいが、そうすると自分のメンツが保てなくなりますので、精一杯の殺意と恐怖を「絶縁」に変えて自分の身を必死で守っているモラハラ毒父です。

※モラハラ対処法はモラハラ対処法「相手にしない」が鉄則なワケも参考にしてください。

虐待をしても許される環境を被害者がつくっている

被害者が虐待ハードルを下げてしまう場合があります。

モラハラは身体的暴力を行なった場合、ある意味被害者の存在を恐れます。

被害者がその事実をあとからモラハラに追究し、責めたり周りの人に言いふらしたりして、モラハラに対してある種の反撃にでるかもしれないという不安があるからです。

そうなると、「最良の善人」神話が崩れる可能性もでてきます。

だから、モラハラは簡単に身体的暴力ができないのです。

だけど、殴ってしまったら必死でその事実を無かったことにするわけです。

被害者はこの時わざわざ殴られた事実を無かったことにします。

モラハラは、謝りもしないし、殴った事実を認めたわけでもないのに、被害者の方がモラハラに対し

「殴られたことなんて忘れるよ。ごめんなさい。」

という態度で、殴られた事実についての話題を意図的に避けるなどで、モラハラに「無かったことにしていいよ」サインを送るのです。

わたしも、虐待させたことに対し実際謝りましたし、そのトラウマを抱えながらも10数年という長い歳月を虐待を許したていで接触していました。

それに虐待を目撃していた毒母は「モラハラの卑劣な行いを許す」ことが得意分野でした。

それが立派なことだといわんばかりに、子どものお手本となるようにと毒母の背中が語っていました。

一度でも虐待行為を絶対に許してはいけない

被害者体質の「穏便に収めたい」「とにかく仲良くなりたい」という性質から来るのですが、モラハラは、これを悪利用します。

モラハラは、事実の隠ぺいに成功するのと同時に、次回も被害者が暴力の隠ぺいに協力することを確信します。

こうして事実を消しながら、繰り返されモラハラは加速していきます。

一度でも、破壊的行為などで被害者を殴り、被害者が虐待の隠ぺいに協力すると、モラハラは殴ることに抵抗を持たず「殴っても許される」と認識します。

殴ろうが何の損も罪も無いと知るからです。

モラハラが「身体的暴力」を振るう時最初の一回目から、許さないという確固たる態度を見せないといけません。

被害者がどれだけの苦しみを味わおうが、モラハラにとって有益なことは全て激化します。

モラハラにとって暴力は普段「最良の善人」を保つエネルギーを放出するための快楽です。

殴ったあとの後悔は基本ありません。

むしろ、後悔するフリをして「モラハラに後悔させた被害者」としてさらなる暴力を受けることになります。