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子育てだけに翻弄されることが怖い

長男は、2012年に産まれました。

子供を産んだあとも、フルタイムで働くことは決めていました。

それにはこんな理由があったのです。

・家計的にも、夫婦で働いていたほうが経済的なストレス軽減できる
・子供につきっきりが怖い
・母親のようになりたくない

家庭という場所に対してトラウマがあり、自信が持てないわたしは、家以外の場所で、家庭とは違うストレスを感じていないと、自分を保つことができない。

派遣で働いていたわたしは派遣会社で育休をとることになるので、それまで働いていた会社は退職するかたちとなりました。

会社は一旦離れることになったのですが、ありがたいことに、育休期間が終わるタイミングで、それまで勤めていた会社から、復帰して欲しいと声をかけてもらうことができたのです。

わたしは、これまで職を転々としてきましたが、その会社は人間関係がとても良好で、上司もとても尊敬できる人だったのでとてもうれしく思い快くOKしました。

しかし、育休明けの仕事復帰、家事、育児の生活は、想像していたよりもしんどく心身ともに疲労が蓄積するばかり。

持病の発作で、腹部が浮腫み激痛と繰り返す嘔吐で、入退院を繰り返すことになったのです。

その度に、「周りの人たちに迷惑がかかる」とプレッシャーを感じ、会社や子供をみてくれる親に対して気を使うこともしんどく、すべてが悪循環だったのです。

母親の二の舞になりたくない

わたしの母親は専業主婦でした。

家庭を経済面で支えていたモラハラ毒父は、独裁者で

「オレの金で飯食ってんだから、口答えするな」

「てめえ何様のつもりだ!」

と些細な理由をきっかけに毒父のモラハラが炸裂し、母親は奴隷でした。

完全にモラハラ毒父に鎖で繋がれどこにも逃げられない母親はよどんでいました。

自分の意思など全くなく、言われるがままに従い、ひたすらモラハラに耐える

モラハラ毒父のありえない暴力に耐えることに辛さもありつつ、耐えていることを美徳としているようでした。

その様は負のエネルギーしか感じられませんでした。

圧倒的な恐怖に怯え、家事以外何もできない母親のようには絶対になりたくないとおもいました。

わたしは働いてないと、母親の二の舞になる気がしてならず

専業主婦だけはなりたくない

とおもいました。

頑張っていないと不安になる

好きな職場を、難病せいで辞めることはわたしにとって悔しい出来事でした。

だけど、長男にも病気が遺伝しわたしよりも発作の頻度が高く、その都度入院をしているので、もっと病気と向き合って心にゆとりを持つことを優先しなければいけないとおもいました。

長女が2016年に生まれました。

妊娠8ヶ月まで働き、会社は退職。

派遣会社との契約も打ち切ることにしました。

長女が1歳の誕生日を迎えると同時にパートで働くことにしました。

・パートでも働かないと家計が厳しい
・家庭とは違う場所での生活があった方が心のバランスがとれる気がする

通院や発作のたびにパートを休んでいますので「微々たる給料のために頑張っている」といったところが正直なところです。

社会との関わりを持てなくなってしまうと、自信が喪失し「ダメ人間になる」気がします。

だけど、ここは頑張らなきゃいけないところだと思います。

パートになったことで、休んでも「会社に迷惑がかかる」という強い責任感は少し和らぎました。

発作も以前と比べると格段に頻度が減りました。

結構休んでいるにも関わらずパート3年目の現在は3DCADを触らせてもらっています。

新しいことにチャレンジすることができる環境であることに感謝しないといけないなと思いました。

ストレスを振り分ける

疲労やストレスが蓄積されると、疲労警告のような感じでわたしは難病の発作が出てしまいますが、このように生活の活動場所をいくつか持つことで、ストレス緩和になっていることも事実です。

わたしは、職場が好きでしたし、お金ももらえて、そのお金で休日は外食や、旅行、お出かけなど子供との限られた時間を大事にしようとも思えました。

いまはお金がなく、家計の資金繰りがうまくできずに悩んでいます。

その他、子育ての悩み、自分自身の悩みなど悩みだらけで心が半分折れかかっていますが、それでも今の生活を大事にしたい!と思います。

ストレスを緩和するためには、やはり行動的になることだと思います。

2019年やることリスト

  1. 学校カウンセリングを受ける
  2. 障害年金受給
  3. ブログを成長させる

このあたりを重点的に行動に移していきたいです。