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実家という場所・与えられていた私の部屋について

実家暮らしをしている25歳まではそれはそれは息苦しい生活でした。

ここは自分の家のはずなのに「居させてもらっている」という意識が強く、いつも肩肘をはる緊張感の中にいました。

毎回家族同士の争いがあるわけではありませんでしたが、それぞれ口数が少なく、会話をしない家族といった感じです。

とりわけ、重大な話を毒親が切り出すときは「ちょっとここに座りなさい」と上から目線で命令され、毒親の要件に有無を言うことが許されず、従わなければいけません。

「ちょっとここに座りなさい」で始まる話し合いがすごく不愉快で気分が悪く、苦痛でとてもイヤな時間でした。

無言のまま、お互いに神経をとがらせ、顔色をうかがい合って生活する日常。

たまたま家のなかに誰もいない瞬間が訪れると、すーっと肩の荷が下りほっとしました。

今になって思うと、あの空間は異常な空間でした。

近づき過ぎない家族

私には、私の部屋というものが与えられていました。

「与えられた部屋」は私の縄張り意識が強く、モラハラ毒父が部屋に入ることがものすごくイヤでイヤでたまりませんでした。

高校生のとき、学校が終わり家に帰り自分の部屋のドアを開けると、夜勤で寝ているはずのモラハラ毒父はあたかも「何か文句でもあるのか?俺が与えてやっている部屋なんだから、オマエが文句の一つも言えない立場だ」といった態度で、私の勉強机の椅子にずっしりと座ってあたりを物色していました。

抑えられない怒りを悟られないように一生懸命我慢をしました。

言いたいことを一生懸命我慢している私に対してモラハラ毒父は「ざまあみろ。それでいいんだ」としばらく私の勉強机の椅子に堂々と腰掛けていました。

(なんで勝手に部屋入ってんの?何してんの?キモ)←これが本音です。

もちろん、こんなこと言えません。言ったら半殺しにされるか、本当に殺されています。

モラハラ毒父はしばらくして無言で立ち去りました。

こうやって、わたしがいない時間に毎日部屋に入り、物色しているんだろうとおもうととてつもなく怒りと苦しみと吐き気とめまいがしました。

私は自分の縄張りに土足で侵入してくるモラハラ毒父に怒りを覚え警戒しました。

モラハラ毒父はズカズカと土足で侵入してきても、ただグッと耐えることしかできません。

毒父が一生懸命働いたお金で生活させて頂いておりましたのでね。そもそもプライバシーもクソもありませんよね。笑

食事の時間が最も憂鬱

家を離れる数年前からは、食事の時間にモラハラ毒父と顔を合わせなくてはいけないので、最もイヤな時間でした。

喋らずに無言でご飯をさっと食べ終えて自分の部屋に戻るということを徹底しました。

とりわけリビングには近づかないようにしました。

お互いにある程度の距離を保ちつつ警戒していました。

適当な会話はするけれど、それ以上でもそれ以下でもない。

このころわたしから毒父に話しかけることはほとんどありませんでした。

それはそれでストレスは緩和できたけれど、逆に息が詰まってものすごくストレスにもなる。

同じ空間に誰かがいるだけで、肩に力が入ってしまって安心できない場所でした。

物理的に実家から離れておもうこと

物理的に離れて毒親と暮らし始めてから、実家という場所がいかにストレスに満ちた場所だったかというのを再確認できました。

本来なら、自分らしく安心していられる場所である空間が、私にとってとても窮屈で一番安心できない居場所だったのです。

出産して実家に帰ることができる環境であったので、実家に帰らせてもらうことにしました。

長男が産まれてから実家に1ヶ月帰りましたが、やっぱり頼むんじゃなかったと思いました。

母親が育児に携わってくれたことで大変助かりましたが、それと同時にモラハラ毒父と同じ空間にいることが耐えられませんでした。

モラハラ毒父が、「幸せを共有しよう」といちいち関わってこようとする行為に拒否反応が出てトラウマがよみがえりました。

子供が産まれていろんな感情が整理できずに、毎日泣いていました。

心の状態を平常に戻すために、「掃除をしてくる」「夫のご飯を作ってくる」など理由をつけては毎日自分の暮らす家に帰りました。

長女の出産の時も、やはり耐えられなくなり2週間で実家を離れました。

出産と育児で大変だったことで、それでも実家に帰らせてくれたことに感謝はしていますが、「してもらっている」ことで、私は「しなくてはいけない」義務を背負います。

それ以外に実家に泊まるということは一度もありません。

自分の親に最大に気を使うことがとてもしんどいのです。

実家に子供と遊びにいっても、どこか落ち着かなく「早く帰りたい」と常に思っています。

そわそわするのです。

機能不全家族はコミュニケーションというものがありません。

会話をしないから、お互いのことをよく知らないままでいる。

弟のことも、母親のことも私はよく知りません。

知っていることは、

・モラハラ毒父は私のことがウザくて殺したくてたまらない存在
・母親は味方だと思っていても最終的にモラハラ毒父の味方である
・弟は??????←本当にわからない笑

ということです。

家族であっても「本当はみんな敵」「私のことが嫌いで仕方ない」と思いながら過ごしていました。

だけど、やっぱりコミュニケーションを取らせまいとしていたのは、まぎれもなくモラハラ毒父です。

というか、コミュニケーション強制はありましたけどね。

「なんでもオレに話をしろ。お父さんが解決するからな」みたいな。

ほんと、難しいですよ。息苦しくてたまりませんでしたから。