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アダルトチルドレンの記憶を振り返ってみる

自分が歩んできた人生において、親について考えることは避けては通れません。

40にもなって、自分のアダルトチルドレンと向き合うきっかけとなったのが、子供の成長です。

子供が成長するにつれて、自分はどうだっけとふりかえるとトラウマがよみがえり、こうしてはいけないけどじゃあ、どうすればいい?

具体的な方法がわからず自問自答の繰り返しです。

キレないようにだけは注意していますが、それでもカッとなり怒鳴りちらしてしまうこともあります。

うつの具体的な症状

わたしは、25歳まで実家に暮らしていましたが、重なるモラハラによりうつを患っていました。

・自己肯定感が極度にない
・自分で判断ができない
・まわりの人とは違う孤独
・自分だけが取り残されている
・なぜこの世にいるのかわからない

ヒステリックな形相をして睨みつけあざ笑い、罵り、怒鳴り散らす毒父に毎日おびえていました。

・夜は毎晩泣く
・朝目が覚めると心臓がドキドキする
・手が震える
・人が怖い
・「しなければいけない」強迫観念

特に思春期の中学生・高校生の時期はモラハラとうつの繰り返しで、わたしは人と親密になることが怖くて友達と呼べる友達もいませんでした。

行きたくない学校に行くことしかできませんでした。
毎朝電車に乗るのが怖くて、通学ラッシュを避け、人がいない時間帯に行きました。

行きも帰りも電車に乗ることが怖くて帰りは同じ学生がたくさん電車に乗っていることが怖く一人窓際で人を見ないように立っていました。

※モラハラが原因で悩んでいる方はモラハラの怒りの原因は被害者のせいではないも参考になります。

わたしの嗜癖と自律神経の機能障害

自分の歩んできた機能不全家族から生まれた孤独や極端な自身のなさを隠すための自己防衛でたくさんの嗜癖があります。

・抜毛症
小学生のころから指の毛をかじって抜いたり爪で抜く
高校生の時はまつげを全部毛抜きで抜く
すね毛を抜きすぎて抜いたところが全部赤い発疹になる
・自慰
小学3年生で曾祖父さんが亡くなったとき、天国から「見ているのはないか」と罪悪感もありながらもやめられない
大学受験当日に突然の腹部の激痛で手術をし、2週間入院したあと退院後はすぐに復活し、何度も繰り返す
・タバコ
高校生から隠れて煙草を吸い、妊娠中・授乳中も吸い続ける
特にイライラして感情のコントロールを失った時などはタバコを吸って落ち着きを取り戻す。
子供の頃から喘息があり、夜は息が苦しくて寝れない状況であっても、吸入をしながらタバコを吸っています。
・顔がひきつる
高校生のとき上手く笑えないと感じる
特に人数が集まり談笑する場面は、特に苦手でその場からすぐに立ち去りたい気持ちを抑えてただひきつった笑いをする。
顔がうまく動かせない。
・赤面症
自分の事を聞かれると、ドキッとしてなにか悪いことをしている感覚に襲われ顔面だけが異常に熱を帯び、「顔赤い」と言われると思うと余計に赤くなり、周りの事が見えなくなり、話が聞き取れなくなる。
赤面がヒートアップしたときは額から大量の冷や汗が出て動揺のコントロールができません。
子供が産まれてから徐々に赤面はなくなりましたが、今でもたまにあります。
・鳥肌が立つ
自分の意志とは裏腹におかしなところで鳥肌が異常に立ちます。
人と合うときや大きな音が鳴るようなとき
・脇汗
脇汗が異常にでるときは赤面するときと同じ状況下のもとで現れます。
ポタポタと雫が落ちるほどの脇汗がでることもあります。

当時はこの症状が精神的な病からきているとは思ってもいませんでした。

原点は意外なところにあったかもしれない

小学校1年生のとき同じ分団の上級生のランドセルを傘で叩きながら1時間ほどかかる小学校へ行きました。

その子の親が家に来て注意をしにきました。

わたしは、小学1年生を終えると引越しをしました。

きっとわたしがいじめているので、その場所に居づらくなった親は逃げたのだと思いました。

なぜあの時期に2駅先の場所へ引越しをしたのか、理由を聞いたことは一度もありせん。

単純に2駅先の地域に分譲マンションを購入したという理由かもしれません。

だけど、どうしても「いじめをしたこと」と「引越し」を切り離すことができませんでした。

こんまりさんのドキュメントを見て考えてみた

普段はテレビをじっくり見ることなどほとんどありませんが、子供を寝かしつけたあと夫が見ていたドキュメンタリーをなんとなくボーっと見たことがきっかけでした。

「密着ドキュメント 片付け人生をやり直す人々」です。

ドキュメンタリーの中で過去にうつと自殺未遂をした女性がいました。

家にいたいけれど、家にいることが怖い・・・

なので、外に出かける用事をつくり家にいないようにする。

家の中はものが乱雑に溢れかえっていました。

女性は高校生の思春期に父親からハサミで前髪をばっさり切られたという辛い過去がありました。

片付けの中で前髪をばっさりと切られた写真と向き合い、その写真を捨てられるか?取っておくか?ということを辛い思い出とともに振り返り泣き、考えていました。

閉じ込めた悲しい出来事が溢れ出た

引越しをするときにクラスの同級生からカセットテープをもらいました。

こんまりさんのドキュメントを見終わったあと、そのカセットテープをずっと残している理由を考えました。

大好きな先生とクラスの同級生は、見送りに来てくれその別れがとてもショックでした。

とても悲しい気持ちでしたが、上級生をいじめたわたしがいけないんだと思いました。

あの時の寂しかった気持ち、泣きたかった気持ち、辛かった気持ちを振り返るとあのとき出なかった涙がボロボロと出てきました。

こんなにもあの時辛かったとは思っていませんでした。

きっと辛い気持ちを封じ込めていたんだと思わずにはいられませんでした。

親に対する不信感はあのときから抱いていたかもしれないと思いました。

辛い思い出と大事な思い出がカセットテープという形で残っています。

カセットを捨てることを想像し、考えてみましたが今はまだ違う気がします。

長男は、そのときのわたしと同じ年です。

悲しい気持ち、辛い気持ちをその年齢で封じ込めてしまっていたと思うと胸が張り裂けそうです。

それから度重なる毒親によるモラハラにはどうにもできない激しい怒りが増すばかり。

親は確かに良いところもあります。

育ててくれたことにも感謝しなくちゃいけないとも思います。

そんなふうに小学1年生のときからわたしは言い聞かせていたのかもしれません。

子どもの心に寄り添いたい

・「お菓子を買ってくれない」というわがまま
・兄弟喧嘩で妹を押したりイジワルをする行為
・理由もわからず不貞腐れている

こういったことで、説明や注意をしても不貞腐れた態度やものに当たったりという行為に対してわたしは怒鳴りヒステリックな形相で睨みつけてしまうことがあります。

長男はわたしのヒステリックな形相を悲しそうな横目で見るのです。

母親がこんなふうだったら、傷つきます。

長男のものに当たる行為は、わたしがやっていることだから真似をしているのかもしれません。

ただ、ヒステリックな形相で怒鳴られすべてわたしの責任にされたこと、フォローがなかったことが何よりも辛かったので、落ち着いたあとには「ママ、言いすぎたよね。ごめんね。だけど、長男も気をつけようね」というフォローは必ず入れてギュッと抱きしめます。

だけど、それが果たして正解なのかわかりません。

※子どもの叱り方で悩んでいる方は子どもの叱り方で気をつけたいこと【アンガーマネジメント】

も参考にしてください。

長男は、毒父に懐いていました。

長男にとっては大好きなおじいちゃんと遊べないことに対してわたしを責めているのかもしれません。