毒親に育てられた子どもは、存在を否定されたり過干渉されたりして、自分の意思や気持ちを表すことができなくなります。
自分を表現できず、いつも周りの顔色をうかがったり、学校や社会の中でも強い不安や緊張を感じる生活を送ることになります。
毒親育ちは「この辛さを誰も理解してくれない」という気持ちを抱き自分と周りの温度差があまりにも違いすぎ、孤立・孤独を味わいます。
毒親による悪影響は子どもの人生全体に及びます。
毒親は家庭以外では、全力で良い人のふりをしますので、他人からはわかりづらく、その言動が子どものためを思ってやっているように見えたりもします。
子どもは他人にもそう見えていることを分かっていますので、SOSを発したくてもできません。
「毒親のことを誰かに相談しても、理解してもらえるはずがない」
という考えが先走ってしまうのです。
この辛さはわたし自身かなりの長い間感じていました。
わたしは毒親からの切り離し行為があり、毒親の全行為をすべて子どもに背負わせるという毒親のやりかたに、しばらくは精神的ダメージで押しつぶされていましたが、連絡を一切途絶えてからは、いくらか心が楽になりました。
※リアルなモラハラ毒親の行為は毒父は大事な自分を守るために子どもを切り捨てたを参考にして下さい
今ではこのように自分の思いをブログに綴り、心理学の本を読みあさり、カウンセリングの予約も取り、ごくわずかな友人に話しているだけですが、「誰かに理解してもらいたい」という強い気持ちは実家で暮らし毒親の攻撃を受け続けていたときほどではありません。
毒親育ちの苦しさは、普通の人からしたら到底理解できないことです。
誰かに聞いてもらいたいという思いでつい毒親のことをしゃべると他人に誤解を招き、結果罪傷つくこともあります。
誤解①:「親のせいにしちゃだめ」ではない
この言葉を聞くと「やっぱり、自分が悪いのかな」という気持ちになり自分を責めることになります。
自分を責めるのはどうゆう状態であれよくないことです。
毒親は断固として全ての責任を子どもに負わせるという手法です。
毒親は、自身たっぷりに
・オマエの責任だ!
・お前が悪いんだ!
・オマエが加害者だと自覚しても謝らないで下さい(いきなり敬語)
などと完全に的外れなことを言います。
毒親自信が発する時点で論外ですが、これを他人にも言われてしまうと「どうせ他人にはわかるわけない」とこれ以上毒親のことを言っても無駄だと、他人との溝が深くなっていきます。
他に「話せばわかる」や「親は会いたいと思っているはずだよ」などといったアドバイスは毒親育ちにはプレッシャーがのしかかるだけで、響きません。
だけど他人は毒親の被害を知らないのでそれを発している人を責めてはいけません。
毒親の被害をちゃんと理解して受け止めてくれる場所や人は他にいますので、そういったところで毒親による二次被害が少しでもなくなるようにしたいですよね。
誤解②:「親が厳しかった」ではない
毒親といっても実際の会話で「うちの親毒親でさー」なんてことはいいませんが例え説明しても、聞いてる相手にとっては「???」です。
なので、どうしても毒親と絶縁してることを伝えるときは
「うちの親ちょっとおかしくて、すごい気を遣うんだよね。気疲れしてしんどいから最近会ってない」
といいます。
これくらいがちょうどいいんじゃないかなと思っています。
要は、精神的に打ちのめされて心を破壊してくる親ということを説明したところで「それは親が厳しかったんだね」と一言で片づけられることが怖いのです。
しゃべったことを後悔し、自己嫌悪と罪悪感に苛まれます。
「親が厳しかった」という解釈はそもそも間違いです!!!
子供が悪いことをしようとしたり、誰かを傷つけたりしたときに厳しく叱ったり、何かを制限したりすることは健全な厳しさです。
しかし毒親は「オマエのためだ!」といって精神的暴力と虐待を繰り返し子どもを追い詰めます。
毒親は子どもの友人関係を制限したり、子どもの話を聞かないということが日常的に行われているのは、厳しいのではなく子どもに恐怖を与えて「コントロールする」のが毒親の目的です。
なので、毒親のことを「親が厳しかった」という意見は的外れな回答なのです。
誤解③:「子供が可愛い」ではない
ほとんどの親は子供のことが可愛いと思っているに違いありません。
しかし、だからといって子供の自由を奪ったり、親のために子供を利用するのは、子供の一生を苦しめることになります。
毒父から受けた精神的暴力や虐待の数々でわたしは親の愛情というものを読み取ることができませんでした。
もちろん、毎日ご飯や、お風呂、布団もありましたし、小学校・中学校・高校と学校に通わせてもらっていました。
だけど、そういったことをしてやってるから
・口答えするな
・親の機嫌を損ねるな
・しゃべるな
・言うことを聞け
・てめえなにさまのつもりだ
と、人格を否定し、親の言うことに従わなければ精神的暴力と物理的暴力で心を破壊されます。
毒親は他人の子どもに対しても見ていて気持ちが悪くなるような「子ども大好き」「子煩悩感」を出します。
それによって「**ちゃんのお父さんってやさしいね」「子煩悩なお父さんだよね」と口々にいい、他人からの賞賛を浴びていました。
毒親の「子どもが可愛い」は外見だけです。
何もできなくて、無力で小さくて、抵抗しない、無知な「子ども」が可愛いだけです。
毒親に従わない子どもは可愛くありません。
それを他人が知る由もありません。
なので、他人から毒父への賞賛というものはそれを目の当たりにする子どもは笑って見過ごすしかありません。
誤解④:「昔の親はみんなそう」ではない
確かに親が生きてきた時代と、私たちが生きている時代は違いますが、そのようなジェネレーションギャップを考慮しても、ありえないほどの心の踏みつけ方をしてきた親を「世代が違うから」という理由で理解することができないのが毒親を持つ人の辛さです。
精神的・暴力的な虐待に時代は関係ありません。
大人になってからの二次被害
大人になってから毒親とうまくいかない人や絶縁している人は、心無いことを言われて深く傷つくこともあります。
「あんなに良いお母さん・お父さんが、そんなひどいことするはずないよ」
「子どものことを愛してない親なんていないんだから、仲良くしたほうがいいよ」
「あなたのためを思って言いにくいことも言ってくれてるんだから感謝しなきゃ」
「そこまでされるなんて、相当怒らせるようなよっぽど悪いことしたんでしょ?」
「いい歳して、親のせいにするなんて」
言う方は何も考えず言っているのでしょうが、これらの言葉は、ただでさえ傷ついている毒親育ちの人を、さらに深く傷つける破壊力を持っています。
友達だと思っていた人や信頼している配偶者からもこのようなことを言われ、理解してもらえない辛さから、その相手と仲良くできなくなってしまうこともよくあるパターンです。
頭痛や腹痛などの身体症状、摂食障害、パニック障害、うつ病、リストカッットなど多岐に渡る精神症状や問題行動も、毒親のために引き起こされる二次被害です。
このような症状に苦しんでいることを、さらに毒親や周囲から責められて、苦しみが二重にも三重にもなってのしかかることもあります。
大人になり毒親とは疎遠になったり絶縁したりしてからは、直接的な被害は減りますが、二次被害が大きくなることも事実です。
- 安易に他人に毒親のことを話さないようにする
- カウンセリングや、心療内科などで心の平穏を保つ
二次被害によって苦しまなくなるような努力を強いられるのも毒親育ちには必要です。
※身体的な二次被害の記事は強いストレスをキャッチできず頑張りすぎるわたしに警告する病気
も参考にしてください。