↑こちらの記事の続きです。
わたしは心にもない「感謝の手紙」を書いて毒父から物理的に離れることができました。
今から14年前、25歳の時です。
「絶対にこの場所(実家)から逃げる」ために自分の気持ちとは全く裏腹の内容を書いてしまったゆえに、毒父を怒らせないように細心の注意を払ってつきあっていかなくちゃいけないという代償を払うことになりました。
「代償を払う」というのは思い込みなんでしょうが、騙した感というか、罪悪感というものはぬぐいきれませんでした。
毒父の暴力を許したフリをし、心配をかけないようまめに連絡をとることを14年勤めあげました。
しかし、毒父とは今後一切関係を経ちたいと決定付ける出来事がありました。
そう考えるきかっけとなったのが、毒父からの1本の電話です。
今までの毒父との距離をざっくりとまとめるとこんな感じです。
- ① 毒父から物理的に離れる
- ② 物理的に離れて生きやすくなった
- ③ 幸せなフリをすることが辛い
- モラハラ毒親は否を認めず、絶対に謝らない
- モラハラ毒親は問題と向き合うことができない
- 「親の責任」を子どもに押し付けるモラハラ毒親
- モラハラ毒親は共感能力がない
- モラハラ毒親は過激な発言をして脅す・潔白だと主張
- モラハラ毒親は罵り・嘲笑い・侮辱するのが大好き
- モラハラ毒親の過剰な自己愛
- モラハラ毒親に同情は要らない
- 子供を傷つけたくない
- 中学生のわたしをゴミのように引きずり、身体を持ち上げて重厚なタンスに力いっぱい何度も何度も投げる
- 朝の「行ってきます」の挨拶がなかったという理由で学校にまで電話し構内放送で呼び出され、職員室で電話を取り次ぐと「今すぐ帰ってこい」と理由も言わず命令。
- 大学受験当日に「あさげを飲んでいきなさい」と言ったのを断ると「だったら行くな!」怒鳴り散らす
- 胸ぐらを掴んで首にアザができるほどねじりしめ軽いビンタでわたしの頬を叩きながら唾が飛び散るほどの至近距離で「お前が悪いんだろ?!ちがうか?」と責め立てる
- 些細なことで母親と喧嘩をすると「待ってました」とばかりに出てきて罵り、悔しくてもなにもできなく恐怖でブルブル震えただ耐えいている私を見てアザ笑う
- まとめ
① 毒父から物理的に離れる
幼少期から25歳で家を出る前までSさんからの精神的暴力は日常であり、たびたび身体的暴力もありました。
それによってうつの症状がひどく、このままこの場所に居たら死ぬ思い逃げるために一人暮らしをしました。
② 物理的に離れて生きやすくなった
すべての決定権は毒父が握っていました。
着かず離れずの距離を保つことで「あれはするな」「これはするな」「それはやめろ」「それはいい」なんでもかんでも「○○してもいい?」とモラハラ毒父の顔色を伺って「○○してもいいか聞く」システムが無くなっただけでも精神的にだいぶ楽になりました。
③ 幸せなフリをすることが辛い
私の結婚出産で毒親は幸せな写真を撮りたがりました。
外面(そとづら)ではいい顔しいの毒父が「幸せです」感を外部に見せつけることに憤りを感じましたが、子供と遊んでくれたりもするのでそこはぐっと我慢しました。
モラハラ毒父は絶対に許せないけれど、希望通りの行動や言動に細心の注意を払っていれば暴力に遭わない術も身につけました。
モラハラ毒父は優しいときも、もちろんあります。
孫のことは特に可愛がっていました。
こちらが丁寧にあわせておけばそれなりに対応してくれます。
今後はこの距離を保っていれば子供に害が及ぶことも避けられだろうと思いました。
だけど、私は毒父のことが顔すら見たくもないほど拒絶しています。
なのに、笑顔で接している自分にものすごく違和感を感じていました。
母親は毒父と一緒だから、私もそれにあわせなきゃいけない。
私が本音を打ち明けると、母親は悲しみます。
母親を悲しませるわたしを毒父が潰しにくるという構造は知っていました。
なので母親を悲しませないようにしてきました。
母親だけに連絡とり、それに嫉妬する毒父がいつ逆上するかわからないので、送りたくないメールを送り、メッセージが来たら返信をし、写真を送ったりもしました。
毒父から他愛もないLINEが来る度に恐怖と怒りを感じずにはいられません。
メールはさっと読み、さっと返しては全消去するという方法で怒りをひっそりと消化する。
毒父にされた恐怖がふいにフラッシュバックし、子供が泊まりに行くと不安でPTSD(悪夢)の症状が出たりもしました。
ここからは、毒父からのたった1本の電話で実際の会話に含まれる精神的暴力(モラハラ)の要素をまとめてみました。
モラハラ毒親は否を認めず、絶対に謝らない
毒父から掛かってきた電話は「最近お母さんが変なんだわ」から始まりました。
私を責める口調です。
モラハラがはじまる予感を瞬時に察知したわたしは一気に恐怖が全身を伝い震え、耳鳴りが始まりました。
毒父はいつもはわざとらしいくらいの必要以上の笑顔で愛想を振りまいていますが、この時は豹変し本当の正体でした。
母親には毒父から受けた暴力のトラウマで子育てが苦しいということを話していました。
それを母親は毒父に伝えたそうです。
すると毒父は「謝りたい」と母親に話したそう。
わたしは、毒父に「謝りたいと聞いてる」とだけ返しました。
毒父「謝ることがあれば謝るけど、お父さんなあ、心当たりが全くないんだわ」
開き直っていました。
え、じゃあこの電話は何??????
わたしは毒父には用事がないので、直ぐにでも電話を切りたい気持ちでいっぱいでしたが、そんなことしたら何をされるかわからないので、我慢をして聞かなければなりません。
母親から話を聞いているはずです。
話す必要性も感じませんでしたが、心当たりがないということなので話しました。
「お父さんのひどい暴力がトラウマとなり子育てするにあたり思い出すことが増え辛い。ということを母親に相談すると、謝りたいということを聞いた」
と電話口で言いました。
モラハラ毒親は問題と向き合うことができない
今までもずっと毒父に意見や考えを述べようとしても、聞かず、向き合わず自分のことばかり主張し、暴力を受けました。
今回もわたしが抱えている問題を母親に伝えたまでの話です。
毒父「なんで、お父さんの話になるんだ!!」と激怒しました。
自分が責められていることに集中し、わたしの問題を解決に導くようなことは一切ありません。
こうなるかもしれないと思ってもいましたが、
ひょっとしたら罪(虐待)を認め、子どもを深く傷つけてしまったことを認めてくれたら、少しは精神的に楽になれるかもしれないという淡い期待は即座に裏切られました
「親の責任」を子どもに押し付けるモラハラ毒親
毒父「お父さんはな!お前の言葉の暴力でお父さんどれだけ傷ついたかわかっとるか!お前がお父さんに「ムカつく」って言っただろ!言葉の暴力をああいう形でやっただけだ!同じだろ!」
怒鳴り散らします。
モラハラ特有の責任を他人のせいにする責任転嫁どころか、自分は被害者だと言い張ります。
例え私の子供が「ムカつく」って言っても絶対にわたしはあんなにも残酷な虐待は絶対できません。
暴力を子どもの責任にするのはそもそもおかしいです。
ということを私は毒父に伝えました。
毒父「おかしくない!!そうならん親のほうがおかしいだろ!!」
といいました。
わたしは暴力を無抵抗な子供に責任を押し付けるのはおかしいということをもう一度毒父に伝えました。
毒父「オマエなあ、親に向かってなんて言ったか覚えとるのか?お父さんどれだけ傷ついたかわかっとるのか?オマエの言葉の暴力を同じようにやっただけだ!!」
自分を正当化するために、電話口で怒鳴り倒します。
モラハラ毒親は共感能力がない
毒父に私が「ムカつく」と言った理由を考えたことがあるかを聞きました。
きっと、わたしがこのように質問すること自体も気に入らないとおもいますが答えました。
毒父「わからん」
根源を探ろうとはせず自分が傷ついた事だけに焦点を置いていたことがわかります。
すべての決定権は毒父にあり、毒父の命令に従わないと暴力を受けるというシステムが苦痛でたまりませんでした。
女・子どもはモラハラの奴隷でした。
わたしには弟がいますが、弟に手を出さないのは
「大人になったら殺られるから」と毒父は言っていました。
卑怯なやつだと子供ながらに思った記憶があります。
毒父は自分が傷つくことだけにしか焦点をあてませんので、私がどんなに深い傷を負っていようが関係ありません。
私は自分が置かれている状況が理解できず、当時はうつだということすらわからず病院にも行きませんでした。
もちろん、このような親が気づくわけもありません。
わたしのSOSはどこにも誰にも届くことがありませんでした。
他人の辛さや痛みを理解することができないのもモラハラの特徴です。
モラハラ毒親は過激な発言をして脅す・潔白だと主張
私は、ずっと自分の中だけに溜め込んでいたことをついに吐き出してしまいました。
「暴力を無抵抗な子供の責任にするのはおかしいでしょ。
ああいうのなんていうか知ってる?虐待っていうんだよ。」と。
毒父「虐待っていうのはなあ、人を殺すことだ!!」
と過激な発言をして怒り狂います。
自分がやったことは虐待ではないと言いたかったのでしょうか。
それとも過激な発言をしてわたしに恐怖を与えることがしたかったのでしょうか。
毒父「虐待っていうなら今すぐ警察つれてこい!お父さんが悪くないって胸張って言えるぞ!!」
もうこういうことを発しているだけでとても残念すぎます。
20年も前のことを今から警察につきだしたところで証拠もないから白だということが言いたかったのでしょうか??
連れてこいと命令をするのではなく、虐待を認めて罪を償ってほしいのですが、もはやそのかけらもありません。
モラハラ毒親は罵り・嘲笑い・侮辱するのが大好き
毒父「お父さんな、お前が小さい時グーでなぐったり、パーで叩いたりするのをどれだけ我慢したか知っとるか?お前が言ってるのは●●に住んでるときの1回だけだろ?ずっと我慢して我慢して、それでも1回手を出しただけだ。××(現在の住居)で殴ったことあるか?」
謝る気もないにのここに来て回数を数え始めました。
私「首を絞められたことはある」
毒父「はっはっはっー」
私「え、そこ笑うとこ?人の首絞めといて笑うんだ」
毒父「殴ったことはないだろ?」
私「首を絞められたことはある」
毒父「殴ったことあるかって聞いてんだろうが!!」
私「ない。首絞めたこと覚えてないの?」
毒父「はっはっはっ、覚えてないわー笑」
と、してやったりな感じが伝わりました。
自分が傷つくことには人一倍敏感なくせに、自分に都合が悪い事は責任をなすりつけるか忘れたといいます。
私が毒父に身体的暴力を受けたのはもちろん1回ではありません。
それからというもの、以下のことが永遠に続きました。
・怒りが治まったと思ったらまた激怒しては治まりを繰り返し電話を切らせてくれない
・一方的に怒鳴り散らし相手の話を聞かないし認めない
・上から目線で命令(警察つれて来い!2,3回言っていた)
・殴ったことをずっと後悔しているんだ!と後悔させたことを責めたてる
・会話の中でちゃん付けで呼んだりと呼び捨てにしたり、お前!と呼んだりする
・何がいけなくてこれほどまでに怒鳴っているのかわからない
私は、なにに付き合わされているんだかわからなくなりました。
毒父からの全力で攻撃するという体制に、耐えられなくなりすぐにでも電話を切りたい気持ちでいっぱいでした。
だけど、攻撃が物理的に及ぶことを恐れ、電話を切ることができません。
途中で立っていられなくなり、しゃがみこみそれでも聞かなきゃいけませんでした。
これらの一連が精神的暴力(モラハラ)というものです。
モラハラ毒親の過剰な自己愛
それから、毒父は自分のことを一方的にしゃべりまくりました。
・自分はこんな酷いことがあった(自分の傷だけには異常に敏感)
「お父さんはな、小さい時灰皿を頭で割られたんだ。鉄棒に身体打ち付けられたりもしたんだ」
・むかつく発言に膨大に傷ついてつい手がでた(過剰な被害意識と共感能力の欠損)
「お前がお父さんを傷つけるから手を出したけど、1回コツンとしただけだろ?その1回をずっと後悔しとるんだ」(全身アザだらけにしておいてコツンという表現です。)
・自分が頑張って働いてきたことをアピール(過大評価)
「お父さんなあ、今まで頑張って頑張って働いてきたんだぞ」
・過保護感をアピール
「お父さんなあ、お前がお父さんお父さんってくるからいじめられないか心配したんだぞ。
クリスマスもプレゼント買ってあげられなくてどれだけ悔やんだか!授業参観にももっと出たかった!」など。
全部、有無を言わず聞きました。
ちょっと書くのには気が引けるような内容ですが。
毒父のようなモラハラは自分のことを過大評価します。
だけど、自分で言わないで欲しいです。
評価は受け取る側に評価する権利があります。
毒父の度重なる暴力が原因で長いあいだ耐えかねる苦痛伴っていたことが紛れもない事実です。
モラハラ毒親に同情は要らない
毒父からの電話はいったい何なんだかよくわかりません。
自分はこうだったから受け入れろってことなのでしょうか。
それとも同情しろってことなのでしょうか。
もうとにかく毒父は自分の事で頭がいっぱいです。
毒父はどこまでも、自分だけが可愛いすぎます。
それよりなにより「お父さんはな・・」と、小さい子どもをあやすようなしゃべり方、40のおばさんにはキツいです・・・
(40のおばさんは自虐的にいっているだけです。)
「いつまでもオマエはオレの支配下でいるべきだ」と親子関係を利用した嫌がらせとしか思えません。
毒父がひとしきり喋ったあと、私は
「私のこと考えてくれているんだったら、こういう電話とかもやめて欲しいし、ちょっと離れて見守ってて欲しい」と伝えました。
毒父は「お父さんが**ちゃんのために一生懸命頑張ってきたことも少しは覚えといてな」といいました。
許しそうですよね、この言葉。
これがモラハラの最大の特徴です。
これでもかってほどに攻撃し痛めつけたあとに、救いの一手を入れます。
暴力のあとにやさしい言葉をかけてコントロールしようとするのです。
この罠に何度もハマりました。そうやってモラハラはエンドレスなのです。
確かに毒父は愚かでかわいそうな人間ですが、こんなにも汚いモラハラに同情などは一切要りません。
それに、どれだけがんばって来たかなんていうのはそもそも親が子どもを育てる責任です。
子どもにわざわざそのようなことを言ってる時点で、責任のなすりつけですよね。
「お父さんが**ちゃんのために一生懸命頑張ってきたことも少しは覚えといてな」
こんなこと、わざわざ子どもに言いますか?いいませんよね。
虐待の罪を緩和させるための要求です。
子供を傷つけたくない
電話をしているときは終始恐怖で震えていましたが案外冷静に思っていることを口に出して言えた自分に驚きました。
以前の私は毒父が恐怖過ぎてただ怯えるだけで、このような対応は到底ムリでした。
内容はハチャメチャでただ振り回され脅威の電話でしたが、「もう諦めていい」というメッセージだったと解釈しました。
そして電話を切ると同時に安堵し恐怖に立ち向かったので疲れ果てて涙が出てきました。
「ママ、大丈夫?誰と電話してたの?」優しくそっとティッシュを持ってきてくれた長男。
私は子供たちには同じことを絶対に繰り返してはいけないと思いました。
毒親から離れて暮らしていても、まめに連絡をとらなきゃいけないという使命を感じ、精神的に毒父からは全く解放されていませんでした。
そして、毒父に対する恨み、悲しみ、苦しみは治癒しなければ、わたしは被害者から加害者への道へ進む危険性があるのも事実です。
毒父は10年経とうが20年経とうが毒父です。
なにも進歩がなかったのだと確信が持てたので、諦めをつけました。
そう思ったらなんだか心が軽くなりました。
私は長いこと自信が持てず、何をやってもどうせだめだ、無理だと決めつけていました。
すべて毒父のせいにするつもりはありません。
毒父のやることにいつも理解に苦しみ不平不満に満ち溢れていた私。
それが毒父のモラハラを加速させて母親も苦しませていたのかもしれません
だけど、
中学生のわたしをゴミのように引きずり、身体を持ち上げて重厚なタンスに力いっぱい何度も何度も投げる
→身体はアザだらけ。目からも出血。半殺しされ、意識が朦朧とするわたしに母親は「本当に殺されるよ!」と脅す。
朝の「行ってきます」の挨拶がなかったという理由で学校にまで電話し構内放送で呼び出され、職員室で電話を取り次ぐと「今すぐ帰ってこい」と理由も言わず命令。
恐怖がはじまるとわかっていても従うことしかできない自分が情けなく、今からヤラれに帰る自分の愚かさと恐怖に押しつぶされ涙を流しながら電車で帰る。
帰宅すると「おれは灰皿で頭を叩かれたんだから感謝しろ!」とカチカチに丸めた新聞紙で頭を何度も何度も振りかぶって叩きつける。
事が終わると「とっとと学校行け!」と命令。
→虐待のために家に帰る屈辱で精神崩壊、泣き腫らした顔で電車に乗り再び学校に行くという地獄
究極に学校へ行きたくなくても、そうすることしかできないほど恐怖を植えつけられていました。
大学受験当日に「あさげを飲んでいきなさい」と言ったのを断ると「だったら行くな!」怒鳴り散らす
→「行かせてください」と号泣しながら懇願するが、ついに精神状態が崩壊し難病が発症
胸ぐらを掴んで首にアザができるほどねじりしめ軽いビンタでわたしの頬を叩きながら唾が飛び散るほどの至近距離で「お前が悪いんだろ?!ちがうか?」と責め立てる
→首のアザをキスマークと勘違いされ我慢できない怒りと恐怖と恨みを押し殺す
些細なことで母親と喧嘩をすると「待ってました」とばかりに出てきて罵り、悔しくてもなにもできなく恐怖でブルブル震えただ耐えいている私を見てアザ笑う
→母親の悲しみはモラハラ毒父の暴力によって倍返しされるシステム
などということはどんなことがあろうと自分の子供に絶対にできません。
「できない」と思えるだけほっとします。
まとめ
その後、母親にメールをしました。
毒父から謝罪の電話だと思ったら脅威の電話だったよ。
謝る気はやっぱりなかったよ。思った通りだった。
わたしが首絞められたって言ったら笑ってたよ。
不道徳だよね。
人の首アザができるほど締め上げたことに対して笑ってたよ。
覚えてないんだって。
反省とかのレベルじゃなかった。
同時に恐怖で全身がブルブル震えたよ。
だけど、私のこと思ってたら連絡しないで欲しいって言ったら納得したみたい。
言ってることがハチャメチャで一貫性がなく自分が何かしらの責任問題を発生させたら自分では責任が取れないから必ず誰かのせいにする。
わたし、毒父を怒らせないように顔色伺って自分にウソついて生活するのやめるわ。
ほんとしんどい。
これ正常な人の考えだよ。
お母さんが言ってた「最近お父さん落ち着いてる」っていうのは、私がモラハラの希望通りの言動や行動に細心の注意を払ってきたから。
自分の行ったDVをひとのせいにするような人とは、話すメリットないよ。
昨日の電話でも、自分が親にされた酷い仕打ちとか自分が一生懸命働いてきたとか語ってたけど、自分のこと過大評価しないでほしいよね。
みすぼらしいだけだよね。そういうのって周りが決めること。
もう、言ってることがハチャメチャでびっくりする。
録音しておけば良かった。
そういう人のことモラルハラスメントっていうんだよ。
わたしたち弱い女に暴言、暴力を振るって恐怖心を植え付けて自分の立場が上だと誇示して、支配しないと気がすまない。
少しでも悪いと思ってたり、改善の余地があれば、普通はいろいろ工夫や勉強、病院、相談に行ったりするよね。
なにも変わりないことに驚いた。
私はまだ虐待の種類がマシだって言いたいんだろうけど、だから何?
自分の思うようにコントロールできないわたしのことをもっと痛めつけてやりたいんだろうね。
恐怖にかわりないよね。
だけど、怖がる必要性もまったく感じないよね。
近寄らないで欲しいと願うばかり。
私も、心理カウンセリングとか精神的な勉強もして自分の子供にわたしと同じ思いをさせないように努力が必要だと思ったよ。
お母さんと連絡取り合ってるとやっぱりダメみたい
私は元気でやっていくので悲しんだり泣いたりしないでね。
生活を脅かす要因だから。
私が親と同じようなことをしてしまわないように、子供を守るための最善の方法だから喜んでくれるとうれしい。
そして、ここにきても尚母親は私からのメールを全消去してなかったことにしているに違いありません。
いいなりにしかできないことによって母親さえも肝心な時に守ってくれない敵だとおもうことも何度もありました。
14年間、自分に責任があると思うことがとてつもなくしんどかったのです。
このまま虐待を認め、責任を負ったまま自分に嘘を突き通していたら私の我慢や怒りは夫や子供に向けられ、毒父のように虐待を正当化するような人間になっていたに違いありません。
毒父に期待しては裏切られ絶望しだいぶ遠回りをしましたが、ここにきて諦めるきっかけとなりました。
そういう意味でこの電話は意味がありました。
許せない毒父を許そうとする自分との葛藤で自分の時間を生きることもできず夫や子供、母や義母を巻き込んでしまったことも事実です。
長男は毒父に懐いていました。
昔のわたしも毒父のことが大好きだったようです。
しかし、どんな理由であれ子供がもし傷つきやすい毒父を傷つけたとしたら、子供を預けるという行為は危険すぎます。
怯えることもなく平和な暮らしを実現するために、子どもの未来のために毒父との関係を断つ決断ができてよかったとおもいます。
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